西武・投手コーチ森慎二さん死去。現役時代どのような選手だったのか?過去にはメジャーリーグに挑戦。

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西武の森慎二投手コーチ(42)が28日、福岡市内の病院で多臓器不全のため、死去した。同日、鈴木葉留彦球団本部長が明らかにした。

鈴木本部長によると、ソフトバンク戦で福岡遠征中だった25日に体調不良を訴え、そのまま入院していた。27日に休養が発表されたばかりだった。

引用元:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASK6X7R2SK6XUTQP01V.html?iref=comtop_8_08

元西武ライオンズの投手として活躍された森慎二さん(享年42)が多臓器不全のため亡くなられたとのニュースが飛び込んできました。42歳の若さでです。

今月25日の福岡市ヤフオクドームで行われたソフトバンクとの3連戦にはチームに同行していましたが、その後、体調不良を訴え、27日には病気療養のため、休養することを発表したばかりでした。森慎二氏とは現役時代にどのような投手だったのかを振り返ってみたいと思います。

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現役時代はどのような投手だったのか?

プロ入団きっかけ

山口県立岩国工業高校を卒業後、新日鉄光へと進みますが、新日鉄グループ野球部の再編に伴い、新日鉄君津へ転籍。都市対抗野球での活躍がプロ球団の目にとまり、1996年ドラフト2位で西武ライオンズに入団。背番号は19。

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ルーキーイヤーの活躍

1997年入団1年目から1軍で先発として起用されていたが、首脳陣を満足させられるような成績が上げれず中継ぎへ回されます。しかし、その中継ぎで活躍し、38試合に登板し6勝2敗9セーブを記録しチームの優勝に貢献。その年行われた日本シリーズにも登板します。入団1年目から38試合に登板で6勝9セーブは驚かされます。

入団2年目・3年目

1998年入団2年目は開幕からクローザーとしての活躍が期待されていましたが、思ったような成績を上げれず、当時先発で調子の悪かった西口文也との配置転換で先発に回されます。この年も大車輪の活躍をし、チームに貢献します。52試合に登板し、8勝8敗5セーブ。

1999年には、41試合に登板し、5勝8敗とします。

入団2~3年目にして、52試合、41試合登板というペナントレースのほぼ1/3以上の試合に森投手が登板するというチームにはなくてはならない存在へと進化を遂げます。

2000年 自己最高の23セーブ

入団4年目には、58試合に登板。自己最高の23セーブをあげ、防御率1.83という絶対的な守護神として活躍します。

中継ぎ投手として開花

2001年は調子を落とし、クローザーの座を豊田清投手へと譲ることになり、中継ぎ投手としての登板が増えます。

しかし、その中継ぎ投手として森投手の才能が開花します。

中継ぎ転向後の、翌2002年にはリーグ最多の71試合に登板。32ホールドをマーク。その年の最優秀中継ぎ投手賞を獲得。リーグ優勝に貢献。

2002年 日本シリーズで松井秀喜選手との対戦の動画

03年には背番号を11に変更。26ホールドをマークし、2年連続で最優秀中継ぎ賞を獲得。

森ー豊田の継投は、西武ライオンズの勝利の方程式となっており、2002年~2004年まで3年連続で、オールスターゲームにも出場しています。

メジャーリーグ挑戦

05年のシーズンオフにポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦を表明し、大リーグのタンパベイ・デビルレイズへ2年契約で移籍した。

06年は右肩痛の影響で調整が遅れ、オープン戦で登板するも、3球投げたところで右肩の脱臼となり、全治一年の故障と診断されました。メジャーでの登板が1試合もないまま、07年に解雇。

西武時代に輝かしい記録を残した森投手ですが、メジャー挑戦1年目のオープン戦で大きなケガをしてしまい、その夢は儚くも消えてしまいました。

ポスティングシステムでメジャーのチームから入札された日本人選手が、メジャーでもマイナーの公式戦にも一度も登板することなく解雇された初めての日本人選手となりました。

独立リーグへ

07年にタンパベイ・デビルレイズ解雇された後、09年にBCリーグの石川ミリオンスターズの選手兼投手コーチとして就任。しかし、投手としての公式戦登板はありませんでした。

2010年に現役を引退。そのまま石川ミリオンスターズの監督に就任します。

生涯成績

9年間在籍した西武ライオンズでの通算成績は、

通算431試合、44勝44敗50セーブ、防御率3.39 右投げ左打ち

最優秀中継ぎ投手賞 2回 (2002年・2003年)

西武ライオンズコーチへ

2014年10月石川ミリオンスターズの退団が発表され、翌2015年から現役時代に活躍した古巣、埼玉西武ライオンズの2軍投手コーチへ就任することが発表された。

さらに、翌2016年には、1軍投手コーチへ就任。背番号は89。

2017年6月25日、遠征先の福岡で体調不良を訴え入院。6月28日に多臓器不全のため帰らぬ人となった。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

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